2014/10/03

ヴィエルコポルスカ地方のエレガントなシャトー「ゴウフフ城」

西ポーランド、ヴィエルコポルスカ地方にあるゴウフフ城はとてもエレガントで優美な外観を持つシャトーです。  
                                

ゴウフフ城
-16世紀半ばにブジェスコ・クヤフスキェ県の知事ラファウ・レシチンスキによって築かれたこの城は、もともとは複層構造の城塞でした。
上から見ると4方の角に塔がある四角形をしていましたが、後年になり増改築工事が行われて、1619年にはルネサンス・マニエリスム様式の瀟洒な館となったのでした。

 1695年にレシチンスキ家はこの館を手放すことを決めて、その後150年間の間につぎつぎと所有者が変わりました。そしてこの美しいゴウグフ城は、十分な手入れもされることなく荒れ放題となり幽霊屋敷のようになってしまったのでした。
 それが1856年になって、貴族ティトゥス・ジャウィンスキが新婚の息子夫婦のために購入しました。これを機に大改修工事を行い、ゴウフフ城はかつての優美な姿を取り戻したのです。
ジャウィンスキ家に嫁いできたのは名門チャルトリスキ公爵家の令嬢イザベラ・チャルトリスカ(写真)でした。
                                                       
彼女はパリのランベール館で亡命ポーランド知識人たちの擁護者となっていたアダム・チャルトリスキ公爵の娘でした。洗練されたパリの芸術に触れて育ち、美術に対する深い造詣を持つ美貌の貴婦人であったといわれています。そんな大都会パリからヴィエルコポルスカ地方の田舎にやってきたイザベラは地元貴族たちとの付き合い、風習となじめないことが多く、次第に周囲から孤立して行きます。
 さらに政略結婚であった夫ヤンとの間にも隙間風が吹きはじめたのを感じたイザベラは、少女時代から好きだった美術品のなかに心の癒しを求めるようになりました。美術品の一大コレクションを居城の中につくることに情熱を注いだのです。
 そんな折、ヴィエルコポルスカ地方では一月蜂起が勃発。この蜂起に夫のヤン・ジャウィンスキ(写真右)が関わりをもち、反政府運動の資金を相当提供していたことがプロイセン当局に発覚。彼は死刑の判決を受け、パリへ亡命し5年間の間身を隠しました。
 プロイセンによるゴウフフ城の接収を免れるために、イザベラは城の名義を自分に変更して、女らしい感性がたっぷりと盛り込まれた大改修工事に着手。パリのノートルダムやアミアンの大聖堂の修復を手掛けたフランスの建築家ウジェーヌ・ヴィオレ・ル・デュクやジグムント・ゴルゴレフスキのスケッチなどをベースにして10年後の1885年にやっと工事は完了しました。
 ゴウフフ城の美術品の数々は、第二次世界大戦前には個人コレクションとしては世界でも有数の規模といわれていました。1939年の時点では当時の100万ドルの価値があったと言われますが、第2次世界大戦によってコレクションはあちらこちらに流出しまい、現在は古代ギリシャの壺やアンティーク家具調度品を中心とした美術館として公開されています。  
 城の周囲に広がるのは126ヘクタールの広大な英国庭園で、ここにイザベラの墓碑があります。この城の美しさからドラマのロケが行われたり、優雅な雰囲気をたっぷりと味わえるコンサートなども開催されています。美術品への愛に生きたイザベラ・ジャウィンスカという女性に思いを馳せながら、庭園を散策してみるのもいいかもしれません。                                                                                                             
ゴウフフ城美術館
公式ホームページ  
バーチャルツアーはこちらから (←美しい冬の景観が楽しめます)

Działyńskich 1, 63-322 Gołuchów
開館時間: 火曜日~日曜日 10時~16時
アクセス: ポズナンのバスターミナル.からゴウフフまで2時間15分(9:30より1時間から1時間半に1便程度運行)